協会のあゆみ

「情報社会の実現」を使命に誕生  1958

 1958年、全国各地の通信建設工事会社を会員会社として「社団法人電信電話工事協会」が発足しました。その年には東京タワーが完成し、電話の加入者数も300万目前まで急増。このため、電話加入の申し込みから実際に取り付けられるまで何カ月もかかる「積滞」と呼ばれる問題が起こりました。これを解消するため当時の日本電信電話公社(以下、電電公社)は「すぐつく電話・すぐかかる電話」をスローガンに、5カ年計画を策定。これに合わせ、新技術に対する工事従事者の育成、工事会社の施工能力の向上を目的として当協会が発足したのです。

完成当時の東京タワー

完成当時の東京タワー

初めての自動電話

初めての自動電話

情報通信技術の動き クロスバー交換機

 クロスバー交換機は金属棒を電磁石でコントロールしてスイッチングを行う電話交換機。手動に代わる交換機として1926年にスウェーデンで実用化され、1955年には米国製を国内導入し、翌年には国産機も開発されました。しかし、動作制御がプログラム制御方式ではなかったためIT時代に対応できず、徐々にプログラム制御方式に移行、1990年代半ばに姿を消しました。

クロスバー交換機

※1 写真提供:「電気通信施設」

全国各地に訓練所を開設  1960’S

 1960年代に入って電話加入の要望はさらに高まり、積滞はより深刻化しました。そこで会員会社施工技術者向けにクロスバー交換機の技術訓練を開始。その後、全国各地に訓練所も開設しました。
 1970年代になると、積滞数は減少傾向となりましたが、一方で、キャッチホンなどの新しい電話サービスが登場。このため1972年からは電子交換機の技術訓練も実施し、新たなインフラ構築技術の普及と技術者の育成に尽力しました。

基礎訓練(座学)

基礎訓練(座学)

各地の訓練所(技術研修センタ)

※訓練機関の名称は設立当初の物です。
1963年4月 近畿支部豊中訓練
1963年11月 関東支部岩槻訓練所
1968年2月 東北支部技術訓練所
1977年11月 九州支部九州技術研修所

安全意識の徹底指導で、重大事故が劇的に減少  1970’S

 1970年代、各種建設工事が年々増加するにつれ事故も増加していきました。国会でも取り上げられるほどになり、1972年には安全な施工環境の確保、安全設備・機械器具の改良増備、作業員の安全意識の徹底などの対策を推進、1974年からは安全訓練も導入しました。
 さらに1983年には3カ年計画による『人身事故撲滅推進運動』(グリーンキャンペーン)を展開。重大事故が劇的に減少しました。

情報通信技術の動き 新しい電話サービスとデータ通信の登場

 1970年代前半にはキャッチホンやファックス、国際ダイヤル通話、ビジネスホンなどが次々と登場。そして1979年には、携帯電話の先駆けとなる、世界初のセルラー方式による自動車電話サービスが始まりました。また1984年には、金融機関のATMやクレジット情報照会などのデータ通信サービスも開始。このような多様なサービスが出現した背景には、交換機のディジタル化が重要な役割を果たしました。「ディジタル化」をキーワードとした情報通信インフラの発展が、社会の情報化を大きく推し進めることになったといえるでしょう。

クロスバー交換機

※1 写真提供:「電気通信施設」

会員会社社員のアイディアを業界の力に  1986~

 当協会の設立以来、安全指導とならび重点的に取り組んできたテーマが、効率化と安全品質向上のための業務改善です。“日本の情報通信インフラ建設を担う”使命を果たすには、業界全体の発展が必要との考えから、技術やノウハウの水平展開を図る活動を推進してきました。その軸となるのが、S KY(創造・改善・躍進)運動です。
 1986年に、「安全と創意工夫で明日への飛躍」をスローガンとしてSKY運動が始まると、会員会社各社から毎年2,000件を超える提案が寄せられました。これを厳選して業界機関誌の『電電建設』(現『Raisers』)で紹介。1988年には表彰制度『SKY選奨』を開始し、さらにインセンティブも導入したことで、運動は大きく盛り上がっています。
 こうした中から業界の標準となった技術は、枚挙にいとまがありません。SKY運動は通信建設業界の歴史そのものといえるでしょう。

小集団活動

小集団活動

情報通信技術の動き 光ファイバの登場

 光ファイバは、電気信号の代わりに光を使用した通信伝送路(ケーブル)。データ伝送速度の速さや、一度に伝送できるデータ量の大きさが非常に優れており、1本の光ファイバで、メタル(銅線)ケーブルによる電話の数千万回線分の情報を遠くまで、品質を落とさず一度に高速送信できます。1930年代から始まった基礎研究は2000年代にFTTHとして大きく花を開きました。

通信ケーブルの光化による新たな時代の到来  1990

 1990年代に入るとインターネットの登場でネットワークのディジタル化が急速に進行。電気信号の代わりに光を使用した通信ケーブル・光ファイバの貢献は大きく、FTTH(Fiber To The Home)を目指して通信ケーブルの光化が進められました。さらに、携帯電話やPHSの爆発的な普及により、無線基地局やLAN工事、システム開発といったコンピュータ関連事業も増加。通信建設工事業界は総合情報通信エンジニアリング業へと姿を変えました。
 また労働環境整備による安全対策にも優先的に取り組み、1994年には安全専門委員会を設置。安全関係実施要領を全面的に見直すなど、安心・快適に働ける環境作りも整えてきました。

災害復興と新たな街づくり  1995

 1995年1月17日、阪神淡路大震災が発災。ネットワーク系設備28万5,000回線、アクセス系設備19万3,000回線がストップ、電柱なども多数被災しました。しかし自らも被災者でありながら働き続ける会員会社社員。やがて全国各地の会員会社からも応援に駆けつけたことで、わずか14日後には10万2,000回線が回復しました。またこの時に得た経験やデータは、以後の災害復旧にも役立ちました。安否確認ができる「災害伝言ダイヤル」や電柱を地下に埋設する「無電柱化」など、災害に強い情報通信インフラや、景観にも優れた日本の都市づくりなどに活かされています。

応急復旧工事は、架空ケーブルの仮接続、撤去等の他、地下ケーブルのガス漏洩孔修理もかなり発生した

応急復旧工事は、架空ケーブルの仮接続、撤去等の他、
地下ケーブルのガス漏洩孔修理もかなり発生した

民家の倒壊により架空線路設備が被災したものが多かった

民家の倒壊により架空線路設備が
被災したものが多かった

経験を活かした 東日本大震災の応急復旧活動

 2011年3月11日に発生した東日本大震災においても、阪神淡路大震災等で培ってきた技術と経験とノウハウを活かし、地震発生から約50日後の4月末までに、全域の被災設備の復旧を終了しました。今後も情報通信のインフラを担う社会の一員として、自負と責任感のもと、業界一丸となって取り組んでいきます。

応急復旧活動

「現場力」を高めNGN時代に貢献  2000’S

 2000年代に入り、電話サービスとインターネットサービスをIP技術で統合した次世代IPネットワークNGN(Next Generation Network)が登場すると、日本の情報通信はさらなる発展を遂げました。テレビ放送なども統合したシームレスなネットワーク構築の動きもあり、そのために日本の通信事業者も参加しての国際標準化が進んでいます。
 NGNの構築には光技術が必須であり、光技術を用いた「現場力」の向上と提供こそ、これからの情報通信エンジニアリング業界の使命であるとの考えから、当協会では、2005年より光通信技能競技会を毎年開催。世界に通用する技術者を育成しています。

NGNへの貢献の決意をかかげ50周年式典を挙行  2008

 2008年、当協会は創立50周年を迎えました。これを記念し、6月10日と7月29日に記念式典を行いました。
 6月10日には、「50年の歴史の重み」をテーマに、総務省をはじめ情報通信インフラの構築に尽力された方々などを招き開催。電信電話工事協会賞(現・情報通信エンジニアリング協会賞)、同技術賞、SKY選奨の発表や、技能五輪国際大会成績優秀者の表彰のほか、今日まで当協会の活動に貢献された団体および個人に感謝状を贈呈しました。
 7月29日は、「現場力をもとに、これからのNGNに貢献しよう」をテーマに、第4回光通信工事技能競技会と併せて懇親会を開催。競技会関係者や現場の第一線で活躍する技術者の方々とともに、50周年を祝いました。

創立50周年記念表彰式_協会賞受賞

創立50周年記念表彰式_協会賞受賞

会員会社より公募した50周年記念ポスター

会員会社より公募した
50周年記念ポスター

総合情報通信エンジニアリング集団へ  2009

 世の中の動きとともに情報通信ネットワークの進化や扱う技術、事業領域が拡大したことにより、2009年1月、当協会は「電信電話工事協会」から「情報通信エンジニアリング協会」に名称変更しました。
 固定電話だけでなく携帯電話、そしてスマートフォンへ。情報通信の驚くべきスピードに併せ技術も進化しています。当協会は、会員各社の現場力を高め、お客様と一体となり、より広い視野から情報通信インフラの構築に貢献していきます。
 なお、当協会は、国の公益法人制度改革に伴い、2012年4月1日より「一般社団法人 情報通信エンジニアリング協会」に移行いたしました。